こんばんは ♪
阿倍野区の歯医者 うえたに歯科クリニック 松井です。
先日、親子で来院された患者さんがいました。
お子様の乳歯がグラグラはしているが、なかなか抜けず、ほっぺたに当たって痛いとのことでした。
基本的に乳歯はグラついてきたら、自然脱落は近いです。
しかし、食事がしにくいとか、ほっぺたに当たって痛いとかいう症状があれば、抜いてしまえばとても楽になりますので気軽にお越しください(麻酔をする場合があります)。
その後、乳歯は問題なく抜けました。
そして、お子様の初めて抜けた乳歯を見てお母様が一言、「持って帰って宝物にします」とおっしゃっていました。
こういう風景を見ると心が和みますね。歯医者になって良かったなと思う瞬間です。
宝物ですかぁ。
皆さんは大事な宝物ってありますか?
私はと言えば、数日前に家の掃除をしていたら机の引きだしから古ぼけた交換日記が出てきました。
・・・なつかしい。
もう30年以上前のお話です。
私には兄がいるのですが、兄は中学生になる前にとても重い病気にかかりました。
あと数日病院に来るのが遅れていたら、命は無かったかもしれないという状態だったらしいです。
もちろん当時、まだ兄より6つ年下の幼い私にはそのことを完全には理解できませんでした。
しかし、その日を境に私たち家族の生活は否応なく変化していきます。
兄が病院に入院するので、母は兄の看病をするために病院に泊まり込んでそばにつきっきりです。
家には母が不在だし、外で働く父親は家事ができないので、しばらくして私は父親と共に父方の実家に一時的に住むことになりました。
しかし、父方の実家、老夫婦の家に子どもの遊ぶおもちゃなどほとんど無く、毎日が退屈との戦いでした。
数カ月後。
病院にいる兄の容体がやっと少し安定しました。
それでもまだ、兄への面会は叶いません。
長期の治療で免疫力が低下してるので、感染予防のため、母親以外の外部の人間が接触することはできません。
・・・兄に会いたい。
幼い私は、兄の病室から離れた待合室で大声で泣きました。
子供にとっては、長期間父親以外の家族と離れて暮らしていたのです。
おそらく、小さな胸に溜め込んでいた色々な気持ちの全てが吹き出したのでしょう。
大声で泣きました。
しかし、それでも兄に会うことは叶いません。
しばらくして、母が泣いている私の前に現れました。母は、手に一冊のノートを持っていました。
そのノートには、兄から私へのメッセージが書いてありました。
「かつくん、ないたらあかんでえ。にいちやんのへやにまで、こえがきこえてるでえ。にいちやんはげんきやから、もうすぐかつくんにあえるからおうちでまつててな☆」
そこには兄のやさしい字がありました。私を思いやるように、ひらがなだけのあたたかい文章がそこにはありました。
・・・この日から、母を経由しての私と兄との交換日記が始まりました。
半年ほどして、母も泊まりではなく完全に病室通いに切り替わり、父・母・私は久しぶりに我が家に戻ってきました。
そしてさらに数日後、ついに兄と面会ができる状態になりました。
兄の入院生活自体は長かったです。
月日は流れ、兄が高校3年生になった時、ついに完全退院することができました。
発病してから、実に6年の歳月が流れていました。
中学には10日ほどしか行けなかった兄。
高校1年と2年をほぼ全休した兄。
そんな闘病生活を経て自らも医者を目指すようになった兄。
しかし、何度も受験に失敗し、一度は絶たれた医者への道。
それでも夢は捨てなかった。
病気にも勝って自分にも勝った兄は、現在、脳外科の専門医として元気に働いています。
あの時の交換日記は、何冊かに及んだはずですが・・・今はもう手元には一冊しかありません。
そんな兄との交換日記。
これが私の宝物です。
うえたに歯科クリニック 松井